前置胎盤妊娠記録⑩ 25w1d~ 一般病棟移動 欝な日々 前編

全前置胎盤から23wより管理入院、

28w1dで大出血を起こし緊急帝王切開で

SOUを出産するまでの過程です。

前回からの続きです。

MFICUに入院中は、

NSTで軽いお腹の張りがあったり

びらんからの出血があったりは

したものの

基本的に容体は安定していて

妊娠25週目に入りすぐ、

一般病棟の大部屋に移ることになった。

一般病棟は四人部屋で、

私の部屋は窓側ではなく

(MFICUは大きい窓があり

 外が見えていたので

 窓から外が見えなくなったのは

 精神的に辛かった)

大部屋なので当然だが

スペースもとても狭かった。

大部屋によっては、

入院中に同室の人同士で

仲良くなり

カーテンを空け

雑談をするように

なったという話も

聞いたりするが

私の大部屋の場合は

全くそういう交流は無く

皆一日中カーテンを閉め切って

静けさに包まれていた。

この大部屋は、

ナースステーションの一番近くで

安静度の高い何らかのハイリスク

妊娠の妊婦さんだけを

集めた部屋だったので

(看護師さんから聞いた)

皆で和気あいあいと

仲よくしたりするような

空気でなかった、

というのもあるだろう。

私自身も部屋に一つある

共通の洗面台とトイレに

用事がある時しか

ベッドから起きる事が

許されなかったので

同室の他の妊婦さんの

姿を見かけることは

ほとんどなかった。

あともう一つ一般病棟に移って

辛かったのは、

MFICUでは

部屋内での携帯での通話が

自由だったので

平日の夜も夫hiroやTAKUと

頻繁にビデオ通話が

出来ていたのが

一般病棟だと

デイルーム脇の

電話ボックスでしか

通話が許されず

夜19時半位までしか

使えなかった。

(共通で一台しかない

 電話ボックスの上

 時間によっては

 順番待ちになっていたり

 とても長電話できるような

 ものではない)

hiroとはラインで

毎晩やり取りが

できたものの

ビデオ通話が出来なくなり

TAKUの様子を見ることが

できなくなってしまったのは

かなり寂しかった。

一般病棟に移って

最初のこの週の週末は、

hiroがTAKUを連れて

お見舞いに来てくれることに

なっており、入院後はじめて

TAKUと面会できる事になっていたが

TAKUが週前半風邪をひいてしまい

40℃越え高熱を出し、

週末の面会が出来るかも

危ぶまれていた💦

この時は、hiro が会社を休み

小児科へ連れていてくれたが、

今までTAKUが

風邪を引いたとき

傍にいてやるのは

私の役目だったのに

今回それが出来ないことが

とても歯がゆかったし

TAKUの事が心配だった。

MFICUから、

外が見えない狭い一般病棟の部屋に

移ったことによる環境の変化と、

何度も差し替えになる痛い点滴の辛さや

点滴の副作用による慢性的な怠さ、

家族との電話が不自由になった寂しさ、

TAKUが高熱を出しているのに

傍についていてあげられない焦燥感、

いろんな要因が組み合わさって

大部屋に移ってからのしばらくは

かなり鬱状態になっていた。

毎日が長く感じて孤独で

とにかく誰かと話したいと

思う反面、

実際に誰かと話すとなると

気が沈んでいて

話す気持ちになれない。

看護師さんが、点滴確認や

NSTの時に話しかけてくれても

最小限しか答えず、

面会に来た実の父に

(娘愛が強くかつ心配性なので

 仕事が自営業で調整がしやすいこともあり

 ほぼ毎日のようにお見舞いに来てくれた)

今日は会話したい気分じゃない、

という態度をとって早々に

帰してしまった日もあった。

書いていて本当にひどいな💦と

思うけれど

それぐらい気持ちが沈んで

いたのだと思う。

辛くて長い管理入院を頑張っても

前置胎盤だから

赤ちゃん100パーセント

助かる保証なんてない。

自分の命ももしかしたら

危ないかもしれない。

そんな先に希望を見いだせない

絶望感が

この時の気持ちの

大部分を占めていた。

思ったより長くなったので、

後編に続く

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