全前置胎盤から23wより管理入院、
28w1dで大出血を起こし緊急帝王切開で
SOUを出産するまでの過程です。
前回から続きます。
転院編、前半です。
あまり眠れない状態のまま一夜明け、
8時ごろに朝食が出されたので食べた後は
引き続きモニターと点滴を繋がれたまま
特にする事は無い朝だった。
朝のうちに、病室には
入れなかったが夫が入院に必要な
最低限のものだけ
(着替えとタオル少し、歯磨きセット、
携帯の充電ケーブル程度)
出社前に届けてくれた。
前回までには書いていなかったが、
私が入ったのは産婦人科病用の
大部屋(四人部屋)で、たまたま
空いていたらしい窓際の一角である。
10時は過ぎた頃だっただろうか
部屋に昨晩の女医さん(以下A先生)
が入ってきた。
「haruruさん、おはようございます。
体調はいかがですか、
昨晩は大変だったけれど
少しは休めましたか?」
その後先生が話し始めたのは、
昨晩からずっとモニターで
観察していても
張り止めの点滴を使っても
張りが収まっていないこと。
今のままでは
近いうちに出産になる可能性が
否定が出来ないこと。
なので、なのでなるべく早急に
28週未満の未熟児でも受け入れできる
S病院より大規模なNICUを
備えた病院へ転院が至急必要なので
今いくつかの転院候補先の
病院にコンタクトを取って
調整をしている、という事だった。
昨晩の話の中で、
S病院のNICUでは28週未満の未熟児を
受け入れできないので
「場合によっては」転院になる
可能性があるという
事は聞かされていた。
しかし、まさかそんな大至急
転院をすることになるなんて
きっと私が思っている以上に
危ない切迫した状況なのだ、と
身体中の血がサーっと引くような
感覚を味わいながら
私は先生の話を聞いていた。
先生によると、都内でも
28週未満の早産児受け入れが可能な
NICUを備えている病院は
少ないらしく
三つほど、転院候補になっている
具体的な病院の名前を教えてくれた。
その中で、S病院からも
私の家からもダントツで近かったのが
多摩総合医療センターだった。
他の候補病院は、
いづれも都内の病院では
あるものの、
23区外の東京西部に住んでいる
私の家からはかなり遠く
もしそこに転院になると、
夫のhiroも私の両親も
かなり通いにくくなることは
明らかだった。
A先生は、
多摩総合医療センターに
受け入れ余裕があるかは
まだ回答をもらっていないので
わからないが、転院先の第一希望と
いう事にして掛け合ってみると
約束してくれた。
S病院で赤ちゃんを産むことを
希望していた妊婦を、
早産になった場合自分の病院では
みることができませんと、
いわば見放すような形になるのは
A先生にとってもとてもやり切れない
気持ちだったのだろう、と思う。
話の途中でA先生は何回も、
先生に何の落ち度もないのに
「お力になれず本当にすみません」と
謝ってくれた。
その後、昼過ぎに再び病室に
A先生が来て
「ぶじ第一希望だった
多摩総合医療センターから
受け入れ可能だと返事が来たので
今から準備をして
救急車で転院になります。」
と言われた。
一泊だったので
大した荷物は無かったが
一応荷物を整理し
家族ラインに
転院先が決まったことを
急いで連絡入れる。
あまり待たず救急車の準備が整い、
担架に乗せられて救急車内に
搬入された。
他業務も忙しいはずなのに、
A先生が一緒に救急車に
同伴してくれ
多摩総合医療センターに
出発した。